第13回 仕立の良い服は野暮なのか?
2014.05.23
かつて男性ファッションのトレンドセッターといえば、ハリウッドの男優達であったことは万人が認めるところでしょう。ダグラス・フェアバンクス、タイロン・パワー、ゲーリー・クーパー、クラーク・ゲーブル、フレッド・アステア、ケリー・グラントetc.・・・ベスト・ドレッサーと呼ばれた男優の名前だけでも枚挙に暇がありません。しかし、ショーン・コネリーの007を最後にスーツの分野におけるトレンドセッターと呼べるような男優は姿を消してしまったように思えます。
先日ある映画関係者の方とお話しする機会があり「最近は映画でいい背広を着ている出演者にお目に掛れなくなりましたネ」と言ったところ、「第一映画に背広を着ているヤツが出ていないじゃないですか」と言われてしまいました。確かにいわゆるスーツを着た人物がたくさん出てくる現代を舞台にした映画は少なくなってしまいましたが、1920年代から60年代を舞台にした映画が無いわけではありません。ところがそこに登場する人物たちが身に纏っている衣装としてのスーツの仕立たるや、目を覆いたくなるような惨状です。聞けば有名なデザーナーが衣装の担当をしている作品も沢山あるようですが、そもそも男性のスーツにデザインなるものは存在しないはずで、そこにあるべきものは時代考証、つまり例えば1940年代の英国では人々はどんな洋服を着ていたか?ということだけのはずなのです。そしてその洋服の仕立こそが、衣装の価値になるのであって、何でも背広の形をした布を着ていればいい、というものではないはずです。
現代を舞台にした映画でも、まったくスーツ姿の登場人物が居ないわけではありませんし、有名服地商社が服地の提供を正式に謳っている作品だってあるくらいです。しかしそこに登場するスーツの仕立はどう贔屓目に見ても感心できないものがたくさんあります。
冒頭に挙げた往年の大スター達が身に纏った服は、銀幕の中でもプライベートにおいても、それはそれは素晴らしい仕立の服でした。
確かに使われている服地は現在の物よりはるかに厚く重いものですし、芯だってもっとしっかりしていました。肩幅は広く胸にはドレープ、股上の深いゆったり目のトラウザーズは、決して現代的で軽快な感じだとはいえないかもしれません。最近の傾向である、軽くてソフト、全体的にタイト・フィティングというスーツとは対極にあるといえるでしょう。重厚長大の時代は終わりを告げた、という意見に反対するつもりはまったくありません。軽くてソフト、そしてタイトフィティングだっていき過ぎなければ結構なことだと思います。しかし、だからといって仕立がいい加減、体型補正がなっていなくてもいいというものではないはずです。スーツは、テーラード・スタイルのジャケットも含めて、ジャージではないのです。いたずらに軽くてソフト、ただスーツやジャケットの形をした物をただ羽織っていればそれでいい、これではなんのためのスーツなのかわかりません。
映画には色々な人物が登場します。登場人物の立場によって衣装が変わるのは当然のことですが、それなりの地位にいる登場人物には、その地位の人物が着るに相応しい衣装を用意してもらいたいものです。
もう一つ私が気になっているのが、テレビのやや堅めの番組に登場する男性アナウンサーやキャスター諸氏の服装です。皆さんスーツを着たりジャケットを羽織ったりしなければならない立場だと考えてスーツやジャケットをお召しになっていらっしゃるのだと思います。(イヤ、スタイリストがそう考えて用意したものを着せられているのでしょう)そのような場合のスーツやテーラードのジャケットには、それなりのルールがあるはずです。ただスーツの形をしているだけ、ジャケットの形をしているだけ、というのではいけないのです。あのての服は、完全にカジュアル・ウェアーの範疇に入ります。ヴァラエティー番組ではないのですから、やはりドレスコードに則った、正しい服装をしていただきたいと思います。(ということは衣装を用意したスタイリストがドレスコードを知らない、仕立の良し悪しが分からない、ということになりますか)いつ頃から、どのようにして釦を掛け違えてしまったのか、ディテールやトレンド(男性のスーツ或いはジャケットに本来デザインは存在しないはずです)にこだわるあまり、本当ならもっとも大切にしなくてはならない、ドレス・コード、体型補正や仕立という服の根本の部分があまりにも蔑ろにされ過ぎてはいないでしょうか。あたかもちゃんと仕立てられたスーツやジャケットをきることは“野暮”(既にこの言葉自体が“野暮”と化してしまい、ダサイと言うべきなのでしょうかね)と言わんばかりの状況です。
決してカジュアル・スタイルが悪いと言っているのではありません。着る物にはその場に相応しい装いというのがあるはずです。ビジネス・シーンにカジュアルは相応しくありません。たとえスーツやジャケットの形をしていても、仕立や体型補正が蔑ろにされている物はオフィシャルな場には相応しくない、と言っているだけなのです。